D.飛行船物語

2010.01.22

飛行船物語(第31便)

ミムラさんの針箱


 新学期四月とはいえ、日曜日の大学は静かだった。

 キャンパスは六甲の山肌にあったから、建物の六階にあるゼミ室の窓からは、白くぼんやりと光る海が見えていた。

 休日にもかかわらず、大学では就職説明会が開かれていた。
 まだ内定の取れていないわたしは同じゼミのミムラさんに誘われてに出てきたのだけど、おそろしくつまらなかったので、二人してさっさと抜け出し、誰もいないゼミ室でまったりしていた。

 突然、ミムラさんが机の上に乗せていたグレーのコーチのバッグをがさごそやって、中から黒い小さなお弁当箱ほどのプラスチックケースを取り出したから、わたしはびっくりしてしまった。

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2009.12.19

飛行船物語(第30便)

スーツの背中
 
 
 もしもし、とケータイから聞こえてきた男の人の声が父のものだと気がつくまでに五秒くらいかかった。

「どうだ」

「元気よ」

 静岡に住む父の声は低く、聞き取りづらい。それよりも父が電話をかけてくること自体が珍しいことだった。

 どうしたの、と問うと、父は相変わらずぶっきらぼうに言った。

「おまえ、昇進したんだってな。おめでとう」

 おそらく母に聞いたのだろう。
 この秋、わたしは三十七歳で、とある外資系保険会社の部長職に抜擢された。仕事は楽とはいえないけれど、責任を背負って働くのは嫌いではなかった。

 ただ、仕事で会う人たちの役職はそれまでよりも確実に上がった。エアラインのシートなら、エコノミーではなく、少なくともビジネスクラスに乗る人々である。仕事だから遠慮はしないが、若干気後れするのは否めない。

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2009.12.17

飛行船物語(第29便)

ちいさなプロポーズ

 
「これからー、みんなでー、この公園で遊びまーす」

 はーい。

「でもね、せんせーと、ひとつお約束してほしいことがありまーす」

 はーい。

「この芝生の後ろに木がたくさんありますねー。あの向こうには、ぜぇったいに行っては、いけませーん」

 はーい。

「向こうには大きな丘があってー、登るとケガをするかもしれませーん。ですからー、ぜえっっったいに、行かないことー! いいですかー!」

 はーい。

「それじゃあ、みんでー、あそぼー!」

 わー!!

 右手を大きく空に向かって突き上げると、カラーボールを撒き散らしたときのように、子どもたちが芝生の上を駆け出していった。赤、黄、青、緑。クラスごとに色分けした帽子がやわらかい陽射しを浴びて鮮やかだ。

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2009.12.15

飛行船物語(第28便)

さかさ船
 

 えー、昔も今も憧れの空飛ぶ乗り物といえば飛行船。

 空から見渡す景色もさながら、飛行船に乗るのが好きだという人もたくさんおります。昔はごくわずかなお金持ちしか乗れないものでしたが、今じゃちょっと奮発すれば乗れないことはない。ずいぶんと身近になったもんです。

 乗れない人は下から見上げてるわけですが、これはこれでいいものです。でも心ん中じゃ、やっぱり乗りたいもんだと思ってる。
 ところで、この飛行船に長屋の大家さんが乗るらしい。その噂を聞きつけた八つぁん。どうしても飛行船に乗りたくってしようがないから大家さんのところへ……。

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2009.12.06

飛行船物語(第27便)

アイスクリームと飛行船


 いつもはおしゃべりなサトミが今日に限って無口だった。
 学校帰り、コンビニで買ったハーゲンダッツのキャラメルマキアートを右手に持ったまま、公園のベンチに腰掛けて、ぼうっと空を眺めている。

 アイスクリームを食べている時間は幸せだ。
 おしゃべりをしているのがもったいなくらい。時間というものがなくなったような気さえしてしまう。
 そんなわけで、わたしはさっさと自分のストロベリーを食べ終えたからサトミの食べかけが気になった。いくら12月とはいえ、黄色いイチョウの梢の上からさんさんと降り注ぐ午後の太陽を浴びてはアイスクリームも形無しだ。紺色のブレザーに包まれた体が暖かかった。

「ねえ、食べないの? 溶けちゃうよ」

 焦って声をかけると、サトミは夢から醒めたように、「ん? あ、そっか」ととても頼りない返事をしてからスプーンでひと口アイスをすくい口の中に入れた。

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2009.11.26

飛行船物語(第26便)

四十二年目の初恋
 
 
 わたしは今、十年ぶりに恋をしている。

 カレンダーが残り一枚になった月の昼下がり、新宿御苑の入口にあるカフェでわたしは彼を待っていた。
 空は少し霞んでいたけれど、首を伸ばせば新宿都心の高層ビルが恐竜の群れのようにそびえ立っているのが見えた。御苑の木々はちょうど紅葉の見頃なのだろう。日曜日だから人の流れが途切れることがない。

 オープンエアの椅子に腰掛けていると、風が少し出てきたようだ。わたしはお店から借りたタータンチェックのブランケットをしっかりと両脚に巻き付けるようにした。オフホワイトのセーターに冬の陽射しが反射して少し眩しい。

 本当に、久しぶりのデートである。緊張していた。

《彼》にはまだはっきりとわたしの気持ちを告白していない。それなのに、こうしてデートに誘ってしまった。
 どうしちゃったのよ、と自分自身に問い正したい気分である。
《どうしちゃったのよ、高校生の男の子とデートだなんて……》

 わたしは冷たくなった手の指を交互に手のひらで包み込んで暖めようとした。

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2009.11.21

飛行船物語(第25便)

マルの憂鬱


 世の中にはいろんな《マル》がいるよね。
 野球にも、ゴルフにも、カップラーメンにだって《マル》がいる。
 マルといえば丸。まるっこい。角張っていないから柔らかそうなイメージで、人当たりもよさそうだ。
 僕もそんな《マル》の一人かもしれない。

 名字は丸山。体も顔も、誰が見ても丸である。いっそ眼鏡だけでもと思って、黒く細長い四角のフレームのものを眼鏡屋で希望したとき、店員の女の子が試着した僕を見てくすりと笑い、「似合いませんね~」と言ったのはちょっとショックだった。

 結局、《いくらか顔が小さく見える》という眼鏡を買わされたけれど、無難なものを勧められただけだろうと思う。
 でもそんなことにはいちいち怒っていられない。気が長いとか寛容だとかいうのではない。そんなことがあまりにも多いから、どうでもよくなってくるのである。

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2009.11.19

飛行船物語(第24便)

コウノトリのバスケット
 

 宅配便のドライバーにとって12月とは、忙しさを通り越して体が洗濯機の中でぐるんぐるん揉まれているような季節である。
 毎年この時期になると営業所に顔を出すのさえ憂鬱になるものだったが、今年は少し違った。気分がずっとハイなのだ。
 仕事場の競馬仲間が天皇賞を取ったといえば、心からおめでとうと言い(自分自身が負けても、である)、パートのおばちゃんが髪を切れば、きれいになったね、とお世辞を言う。
 自分がこんなに周りに優しくできるできるなんて、思ってもみなかった。
 ボーナスも出てフトコロが少しほっとした頃、僕はいつにも増してふわふわと落ち着かない気持ちで家を出た。休みたかったけれど、仕事はそれを許してくれなかった。荷物は多いし、よりによって同僚のドライバーが39℃の熱を出したというので、彼の受け持ち地域も回ることになったのだ。
 もっと時期を考えて《ヤ》ればよかった、と僕は思った。後悔したって遅い。何しろ九ヶ月前のことだ。

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2009.07.26

飛行船物語(第23便)

*一年ほど前に書いた『飛行船物語』です。本文は2007年の設定になっています。
 1929年の15歳が飛行船を見たとすると、2007年冬の時点で93歳。
 ちょっと設定に無理がありますが……。
 26日の朝日新聞の記事を見て自作小説を思い出したので、載せてみました。
 長々と拙い文章が続きますので、適当に読み飛ばしていただいてかまいません。
 
  
飛行船に乗った女の子
  
 
 あなた、飛行船にお乗りになったことあります?
 え、ないんですの?
 それじゃあ、いい機会だわ。一度乗ってごらんなさい。素晴らしいわよ。ふわっと空に舞い上がるときなんて、自分が空を飛んでるみたい。
 わたくし、こう見えて飛行船にはもう二回ほど乗りましたのよ。ふふ、驚きました?
 近ごろ東京の上を飛んでますでしょう、白い飛行船が。あれに乗りましたの。……あら、よくご存知ね。そう、ツェッペリン。正確にはツェッペリンNTっていうんですけどね。
 NTって何のことだと思います? ニュー・テクノロジーなんですって。そりゃあもう新しかったわ。昔乗った飛行船とは大違いでしたよ。
 昔、そう昔ですよ。飛行船に二回乗ったと言いましたでしょう。一回は、先月乗ったツェッペリンNT。もう一回は、わたくしが数えで十五のとき。
 何年前かって? まああなた女の人に年を聞くものじゃあありませんよ。昭和四年だといえばおわかりになるかしら。……え? 七十八年前?
 もうそんなになるのねえ。
 あの年、わたくしが飛行船に乗ったときのお話をしてもいいかしら……。

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2008.12.04

飛行船物語(第22便)

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引き合わせ
  
  
 冷えて固くなったポテトをゆっくり噛みしめていると、なんだか泣きたくなってきた。

 小さな白いテーブルの上に置いた読みかけのベストセラーの文庫本はちっとも面白くなかったし、背後の席に座った男子高生グループの馬鹿笑いがうるさすぎた。

 金曜日の午後二時。営業の途中、遅いお昼ごはんにわたしは一人で池袋駅前のハンバーガーショップにいた。

 ビルの二階、大きなガラス窓に向かい横一列になってハンバーガーやポテトを頬張っている人たちは、外から見たらさしずめ水槽の中で餌を食べてる魚のようだろう。その中の一匹がわたし。

 見下ろせば、繁華街の歩道は人の頭で埋まり、冬の陽射しが葉のまばらになった街路樹の足下に薄い影をつくっていた。

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